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このブログについて

本ブログは、新機動戦記ガンダムWの新作シリーズとして最近ガンダムエースで展開中の『Frozen Teardrop』、および『Endless Waltz 敗者たちの栄光』の考察・感想・情報収集のために運営しております。基本的に、どこよりも早いニュースや、あらすじの掲載はありません。にも関わらず、発売日以降は既知としてネタバレ全開で扱いますので、悪しからずご了承くださいませ。


エントリは、誤解を招く内容を発見した時や、状況が変化した場合に加筆修正する場合があります。

2012年6月28日

敗者たちの栄光の感想(1)

※このエントリの内容は暫定です。あまりに内容に自信が持てないので、あとでごっそり修正したり、削除したりするかもしれません。あらかじめご了承ください。

ヒイロの抱える葛藤について

ヒイロ・ユイ本人が自覚できる建前と、自覚できない本音が真逆を望んでいて、結果的に本音を優先してしまうという個人内葛藤は、TV版と敗者版の両方で表現されていると思いますが、その内容がなんとなく違ってきていると感じております。
今までの連載分で顕著なのは、ノベンタ誤殺後と、リリーナとのやり取りの2点でしょうか。

比較のためにTV版を改めて観直したら、TVシリーズ6話~8話のヒイロは動揺しっぱなしでとても面白い人でした。敗者版は動揺が外に現れる頻度が少ない印象です。

その1:ニューエドワーズ編

TV版・敗者晩の両方において、ヒイロは「作戦ミスは死だ、だがこのままでは死ねない」と言ってICBMまたは大型ミサイル(以下、比較のためミサイルと呼称)阻止に動きます。
また彼は、「ミスは精算しなければならない」とも言います。
ミス=任務失敗であれば、自殺は精算方法の一種であると受け取れます。
では、なぜヒイロは自殺を含まない精算方法を選んだのか?
あるいは、自殺を上回るモチベーションとは何だったのか? となります。

恐らくそれは、どちらもサリィの「私達の身勝手なお願いを聞いて欲しい」という一言なのですが※1、TV版と敗者版の状況の微妙な差で、受ける印象が変わっています。

TV版はOZがミサイルを基地ごと自爆させるという展開でした※2。TV版のヒイロに与えられている選択肢は、

  1. 何もせずこのまま全員死ぬ
  2. ミサイルを止めて全員生き残る
  3. 他を見捨てて自分だけ逃げる

のほぼ3択です。

対して敗者版では衛星軌道からの大型ミサイル攻撃であり、自爆ではなく外部から飛んでくる脅威です。 TV版に加えて、ヒイロには、

  1. 地上に影響の出ない高高度でミサイルと相打ちになる※3
という選択肢が増えます。
ミスの精算は別の機会に(ノベンタの遺族に断罪を仰ぐなど)あるとするならば「3」を選べばいいし、ミスを償って死ぬなら「4」でもいいわけです。しかし、彼はそれらを選ばず、変わらず「2」を選びました。ミスを償い、かつ生き延びる道をです。

個人的には、「サリィのお願いに突き動かされるようにミスを精算しようと動いた結果、死ねずに生き残ってしまった」感の強いTV版の方が好きです。敗者版は選択肢が豊富である分、より積極的に生存ルートを選んだ感があり、解釈の余地が狭くなっているような気がするからです。

2012/07/10追記:半径300km→30kmで脅威度が随分下がったことも原因のような気がします。

※1 突如コードネームで呼ばれたので、Dr.Jの身内の指令(=絶対の任務)と認識したのかもしれませんが、それだと「お願い」の一言が無意味になってしまうので、措きます。
※2 半径300kmはないわと観るたび突っ込むのですが、設定は物語に奉仕すべきと考えているので、そのリアリティについては措きます。
※3 もしウイングガンダムにゼロシステムが積まれていたら、お勧めしてきそうな方法です。その意味では、ゼロシステムが導入された後半は葛藤が目に見える形で表れてくるので分かりやすいのかなあと。

その2:パーティ・ナイト編

TV版のヒイロは寮の部屋にやってきたリリーナにとっさに銃を向けるが、撃てませんでした。
その後も彼はリリーナを殺したいはずなのに殺せず、「何をしているんだ俺は、こいつは死んでくれた方がいいはずなのに!」「なぜ殺せないんだ!」と葛藤します。

対して、敗者版のヒイロは、デュオと同様に銃を常備しているはずなので、リリーナを殺そうと思えば殺せました。
にも関わらず、実際にはデュオに渡された弾抜きの拳銃を使い、殺さない方を意図的に選びました。
殺すか殺さないかの葛藤について、このことによって自分の中で一旦ケリをつけました。

こちらも、好みとしてはTV版の方です。特に、引き金を引こうとする際にリリーナが「ここでまた騒ぎになるのは困るのではなくて?」「せっかくの学園祭ですもの、あなたも楽しんでいって。せめてダンスが終わるまで」と猶予を与えたことを、のちのちのヒイロは殺すのを躊躇った自分への言い訳としているのではないか───などと考えると、葛藤が残されている方が楽しかったりするのです。

2012/07/10追記:敗者版は敗者版で「デュオが妨害したから諦めた」と言い訳していたら、個人的には面白いです。

何度も揺れ動くうちの成長か、後戻りしない成長か

TV版と敗者版、どちらも一理あり捨てがたいものです。
TV版は毎週必ず見てもらえるとは限りませんし、敗者版はペースが遅く、どこかを必ず省略しなければなりません。
その結果、この2つのエピソードをそれぞれ見比べると、解釈の余地の広さはもちろん、「死ななければならない⇔死にたくない/死ねない」「殺さなければならない⇔殺せない/殺さない」の葛藤の反復が、敗者版では薄くなっているように感じられます。

愚直に比較すると大変な分量になってくるので避けますが、TV版は「ある程度の反復を行うかわりに解釈の余地が広い表現」、敗者版は「着実な描写を重ねる代わりに解釈の余地をやや狭めた表現」を選択する傾向にあるように思いました。いかがでしょうか。

敗者版は、このペースなら年内には1クール最大の山場、ヒイロの自爆まで行きそうです。これは葛藤の内容としては単純な部類に入りますし、元から解釈の幅もほとんどないので、そのままのエピソードで行くだろうと思っています。
むしろ、コロニーと自分の命の二者択一を迫られて、ためらわずに自爆せずして、何がヒイロかと。
コロニーの重みは、年齢の割には幼い彼の葛藤など、簡単に叩き潰してしまうのです。

リリーナとヒイロについて

TV版ではリリーナの復讐はレディ・アンに向かったので、当然その流れでヒイロに復讐心を向けるものと思い込んで、ひとつの危惧を抱いておりました。
復讐心を恋愛感情が越えてしまうというのは非常にありがちな流れなので、二人の関係が陳腐になってしまうのではないかというものです。

しかし、実際にはそうなりませんでしたので、素人に過ぎない自分の思い込みを恥じております。

今心配なのは、レディ・アンの悪役ぶりが今のところ薄いことと、せっかく早めに登場したシルビア・ノベンタのイベントをリリーナが肩代わりしてしまったことで、彼女らの存在感が薄くなってしまわないかということです。シルビアは元々リリーナとキャラが被っているところがありますが、この先うまく使われることを期待しております。彼女好きなんです。

デュオの役回りについて

FT以来、彼が出てくるとシーンが西部劇風テクスチャで塗りつぶされるので、いつヒイロとリリーナの背後に回転草が転がってくるか気が気でなりませんでした(嘘)

先月からうすうす予感していましたが、敗者版におけるデュオの位置付けがはっきりしてきたような気がします。しかし同時に、TV版で培ったキャラ造形を若干逸脱しているようにも見えてきました。
裏を返せば、逸脱させてでもやるべき役回りが彼には設定されているとも言えます。

連載当初から、彼は「主人公」というよりは「読者視点の提供者」です。これまで目撃者のいなかったシーンに彼の存在が追加されているのは、その顕れです。敗者版におけるそんな彼の役割は、Frozen Teardropにおいてファイルを編纂する頃まで継承されています。

すなわち、AC~MCを通して、Wの最重要人物であるヒイロとリリーナの物語の目撃者であり、ひいてはW世界の歴史をファイル化する観測者としての役割を課されているのが、敗者版のデュオ=FTのファザー・マックスウェルです。
ファザーは与えられたこの役割について、少年時代よりもずっと自覚的になっており、敗者版における過去の自分の役割が同じであることを自ら示唆しています。

ただし、だからといってデュオは、単なる歴史の傍観者に留まってはいません。自らも歴史の中で物語を背負う当事者であり、その流れの中に飛び込んでいって状況の進む方向を変え、あるいは加速させるトリックスターでもあります。
そんな目撃者とトリックスターの側面を同時に顕したのが、ヒイロとリリーナの対峙に割って入ったシーンであり、「屋根の上から見ている」「上から突如飛び降りてくる」「モノを与える」という振る舞い自体が彼の立場を象徴的に示しており、改変の意図が非常に分かりやすくて面白くなっているなあと感じました。

おまえはレイヴンかコヨーテかロキか何かか。

そんな敗者版のデュオも好きです。目撃者の役割は今後他のパイロットたちにも引き継がれていくのか、継続して彼に集中していくのか分かりませんが、今後も楽しみにしていたいと思います。